情熱。
それは確かに10年前に置いてきた記憶がある。
横浜美少女図鑑の権利を得た企業からDH的に委託を受けて、名前をhamajoに変更して権利ごと買い取ってnaming rightsを取得してなんやかんやで10年くらいやってんだなーと思い返している。メジャーに行ったコもいれば、結婚してお母さんになったコもいる。当時のコ達が今も仲良くしているのをSNSで見かけたりすると、少しは縁を紡げたのかななんて思ったりもする。ちょっとした風を生み出せたとも思うし、それが今に繋がってるから、人との縁は大事だし続けることの大変さと忍びなさはそれなりに痛感している。
そう考えると僕はこの10年、自分よりもひと回りもふた回りも歳が離れたジョシ達と一緒に仕事をしている。仕事をしていると云うよりは助けられているとつくづく感慨に耽る。オトコなんて所詮女性からしか生まれて来れないし「弱いな、ダンシ」とか思う。時々「ハマジョの活動は素敵な思い出」的なコトを言ってくれる人がいてギリギリ水面から息をする感じ。
程なく企業の事業撤退を受け権利ごと全部買い取ってメンドくさいからnaming rights取得して「オンナノコのやりたいことはオンナノコが考えたらええやん」と編集長を立ててリスタート。『ゆれてみて』の作詞をした2代目編集長ayapingが才能を発揮して、今の基盤を作ったから、街で彼女に出会ったらとにかくお礼を言って欲しい。
この10年は《その人がやりたいコトをやれるにはどうしたらいいのか?》について考えてきた10年だったと思う。それが良かったのか悪かったのかはわからない。少しは役に立ててたならいいなとだけ思うし願う。
…と云うようなコトを回顧する事がこの数日に立て続けに起きて、そして僕は今『自分のやりたいコトをやっているんだな』というコトに改めて気がつく。“ヌュアンス”。そのあとに続いている“デジャメ”もそうなって欲しい。そして慌てて10年前に置いてきたものを取りに行ってきた。いわゆる『アツイキモチ』。誤解がないように語弊があるけど伝えると、この10年間にソレがなかったわけではなくて、この10年感が《誰かの為の》虎視眈眈とした青い炎だとしたら、取りにいった方は《無駄が多い》赤い方。飛び火して迷惑かけるそっちの方。
昨日カフーに「どうかしてますよね」と言われた(たぶん褒めてる)。
でも「タイムマジックロンリー」書いてくれた。
おととい丸尾に会った。「なんか色々と変なコトしてるんですよ」と紹介してもらった(きっと褒めてる)。
すごく嬉しかった。
O-WESTを発表した時も、O-EASTを発表した時も「それはナイ」って口々に言われたし、2バンドセットの告知も「なんなの?」って言われた。
でもみんな来てくれたし、EASTにも駆けつけてくれると思う。
デジャメのWWW発表した時も「出た」って言ってくれた。
きっと来てくれると思う。
たぶんそう云うコトなんだろうと思った。
そして今日もひと回りもふた回りも歳の離れたドウシと板の上に挑むのです。お手柔らかに。